柔弱謙下
老子が言った処世訓にこのような言葉があります。
『柔弱謙下』
個人的な見解の上で、超超簡単にいうと・・・
『柔弱』とは、弱い方が強い方より結果的には良い、『謙下』とは、へりくだっていたほうが良い、という事です。
要するに、皆が無利無欲で自然に身を任せ、へりくだって生きていれば争いは起こらない、という事でしょうか。
柔らかい水は硬い石の隙間にもドンドン流れ込み、いずれは石を小さくしてしまう。
芽吹いたばかりの木々は、強い風にも折れたりしないが、立派な大木は時に強い風によって倒されてしまう。
『強さ』とは別の『強さ』にいずれ倒されてしまう。
『弱い(赤ちゃんや、小さな芽など)』には、実は生命力が溢れていて、生命力を持つものは、一生懸命、生きようとする。
生きようとする力こそ、粘る力(我慢など)であり、粘るチカラこそが『弱さに潜む最強のチカラ』なのかも知れません。
弱くて良し、むしろ弱い方が、粘りもあり、しぶとく生きられる。
自分には経験やスキル、知識が周りの人よりも劣っていると思っていても、一生懸命、粘って頑張れば、いずれは強いと思っていた周りの人達を追い越してしまうでしょう。
ポイントは『一生懸命、粘る』というところでしょうか。
しかしまた、謙下でなければならないといいます。
謙虚と同義語でしょうか。
海や大きな川は小さな、幾つもの川や清水、湧き水から成り立っています。
それら『小さなもの』のお陰で、広大な海や大河となれるのです。
自分が海や大河という『大きなもの』だからといって、『小さなもの』に心を配れないと、『小さなもの』は『大きなもの』の根幹である力(水)を注いでくれなくなります。
それは、いずれ『大きなもの』の維持が不可能であるという事を示します。
しかし『小さなもの』である小川や清水、湧き水であっても、それは同じ事。
自分が成り立っているのは、更に小さな石や土、山、木々、草花、動植物のお陰。
だれもかれも、みんなの、みんなのお陰で成り立っているんですね。
しかし、それらも海や大河から蒸発して為す雨により、生かされています。
全ては全てのお陰なのですね。
だから、『大きなもの』も『小さなもの』も、誰に対しても強権的な態度ではなく、感謝や配慮を心に持ち、へりくだっていくべきなのだと思います。
ただし、どちらが先にか、という事であれば、『大きなもの』からへりくだっていくべきだと思います。
強いからこそ、謙虚に弱弱しくすべきだからです。
強い、弱い、大きい、小さい、新しい、初めて、古い、という言葉や行動など、何かに当てはめてみると、また違った視点での気付きを得られるかも知れませんね。
※あまりにも深い言葉なので、皆さん、それぞれに様々な見解があると思います。
あくまで私個人で思うこととして、つぶやかせていただきました。
何か気付きがありましたら、是非、教えてくださいね。
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